フィギュアスケート界のレジェンドとして知られる浅田真央さん。
2014年のソチオリンピックでは銀メダルを獲得し、国民的スター選手として活躍されました。
そんな浅田真央さんの父親である浅田俊治さんですが、これまでどのような仕事をしてきたのか気になりますよね。
また、2015年に報道された暴行事件の真相や、現在はどのような職業に就いているのかも知りたいところです。
そこで今回のこの記事では、
- 浅田俊治さんの経歴や仕事
- 暴行事件の真相
- 現在の職業
主にこの3つについて迫っていきます。
調べてみたところ、浅田俊治さんの半生は娘たちの夢を支えるための波乱万丈なものでしたので、ぜひ最後まで読んでいってください!
それでは、早速本題に入っていきましょう!
元ナンバーワンホストとして活躍した浅田俊治
浅田俊治さんは20代の頃、「沢村翔」という源氏名で大阪のホストクラブで働いていました。
その実力は折り紙付きで、クラブではトップホストとして名を馳せていたと言われています。
180センチ近い長身で、ロマンスグレーを横分けにした風貌は歌手の玉置浩二さんを彷彿とさせると言われていました。
小学生の頃に自身の父親を亡くし、その後は繁華街で働いて家計を支えてきた苦労人だったそうです。
ホストから経営者へ転身した理由
30歳を前にして浅田俊治さんは独立を決意し、複数の飲食店やホストクラブの経営者として成功を収めました。
この時期に、後に妻となる匡子さんと出会います。
互いに両親を早くに亡くし、苦労して生きてきた二人は結婚し、1990年に真央さんが誕生しました。
経営者として成功を収め、お店は大繁盛していたという浅田俊治さんの収入は、後に娘たちのフィギュアスケート活動を支える大きな支えとなりました。
フィギュアスケートは非常にお金のかかるスポーツでした。
コーチの指導料、有名クラブの登録料、衣装代、遠征費など、年間で300万円以上もの費用がかかることもあったそうです。
しかも、姉の舞さんも国内トップ級のスケーターとして活躍していたため、二人分の育成費用を工面する必要がありました。
浅田真央さんが国民的アイドルとして活躍し始めた頃、浅田俊治さんは密かに夜の商売から身を引いたと言います。
「娘の体面を気にしたんだろう。自分の因果を、かわいい娘に背負わせたくない。そう考えたのでしょう」と、浅田俊治さんを知る女子大小路の老経営者は語っています。
暴行事件の真相と家族関係への影響
2011年12月、浅田真央さんの母・匡子さんが48歳という若さで他界しました。
その後、浅田俊治さんは家事や送り迎えなども担当するようになりました。
しかし2015年、浅田俊治さんは交際相手への暴行容疑で逮捕されるという事件を起こしてしまいます。
この事件は真央さんに大きな影響を与え、約1年半もの間、父親との連絡を絶っていた時期があったと言います。
地元の飲食店関係者の話では、この事件については地元でもほとんど報道されず、あまり知られていなかったといいます。
家族関係については、母親の死後、父親が別の女性と交際するようになり、その相手への暴力沙汰まであったと伝えられています。
このような状況で、浅田真央さんの心中は複雑なものだったことが推測されます。
ただし、近隣住民の証言によると、その後も浅田さんは実家に頻繁に帰省する姿が見られていたそうです。
父親は趣味のゴルフの練習を自宅の駐車場でしている姿がよく目撃されており、結果として家族関係は修復の方向に向かっていったようで。
現在の浅田俊治さんは名古屋の実家で暮らしており、表向きは姉妹のマネジメントを行っているとされています。
ただし、実際の仕事内容については不明な部分が多いようです。
まとめ
今回は、浅田真央さんの父親である浅田俊治さんの仕事や経歴、暴行事件の真相についてお伝えしてきました。
浅田俊治さんは、大阪でナンバーワンホストとして活躍した後、経営者として成功を収め、娘たちのフィギュアスケート活動を支えてきました。
2015年の暴行事件で一時は親子関係が冷え込んだものの、現在は修復されているようです。
現在は名古屋で暮らし、表向きは姉妹のマネジメントを行っているとされていますが、具体的な仕事内容は明らかになっていません。
それでは、ありがとうございました!
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