歌舞伎界のスーパースターである市川猿之助さん。
2023年5月18日にかなり衝撃的なニュースが飛び込んできましたが、彼はどんな人生を歩んできたのでしょうか?
そこで今回は、
市川猿之助さんの生い立ちや学歴・経歴
について調べてみました。
それでは早速本題に入りましょう!
市川猿之助の生い立ち
市川猿之助さんは1975年11月26日に東京都で誕生。
公式ホームページによると父は四代目市川段四郎さん、伯父は二代目市川猿翁さん、祖母は女優である高杉早苗さん、いとこは九代目市川中車さん、というまさに芸能一家に生まれました。
母親は調べてみましたが、市川猿之助がプライベートについてはあまり話さないことから確実な情報は得られませんでした。
また本名は、テレビ番組「おしゃれイズム」にて公表されており、喜熨斗孝彦(きのしたかひこ)というそうです。
かなり珍しい苗字ですが、漢字を見るとなかなかかっこいい苗字ですね。
猿之助さんは、1980年7月の時に歌舞伎座「義経千本桜」の安徳帝役でお目見え。
1983年7月に歌舞伎座「御目見得太功記」で、二代目市川亀治郎を名乗り初舞台を踏みました。
当時4歳の頃から初お目見えして、7歳の時に初舞台を踏んだということですね。
小さい頃から歌舞伎を自身の肌で感じていたからこそ、現在のような素晴らしい歌舞伎ができるのだろうなと思いました。
市川猿之助の学歴
市川猿之助さんの大学は慶應義塾大学の文学部国文科ということがわかっています。
公式のプロフィールにも載っているのでまず間違いないでしょう。
かの有名な私立大学ですが、偏差値は65と私立大学のなかではかなりトップクラスの大学となっています。
歌舞伎もしながら学業も怠らないのはさすがですね。
そして、高校から小学校までは一貫して、私立暁星小学校・中学校・高校に通っていたそうです。
テレビ朝日の「あいつ今何してる?」で公表されていました。
驚きなのが偏差値ですが、暁星小学校が61、暁星中学校が66~69、暁星高校が70とかなり高い偏差値になっています。
小さいときから頭がよく秀才だったことがよくわかりますね。
ただ、大学では徹夜で麻雀をしたり授業中にも居眠りするといったエピソードもあり、ちょっと問題児っぽい部分があるところもまたギャップがあって素敵ですね。
市川猿之助の経歴
続いて市川猿之助さんの経歴ですが、もともとは二代目市川亀次郎として舞台を踏んでいました。
2003年の7月公演を最後に父・段四郎とともに伯父が率いていた猿之助一座を離脱。
なぜ離脱したのか?当時は世間から「恩知らず」と批判を浴びていました。
本人は伯父の偉大さに触れ、「大きな人のもとにいると自分が失敗しても全部この人が庇ってくれちゃう」「自身が良いことをしても全部この人の手柄になる」と感じ、「自分の手ごたえがなかったからそこを飛び出た」とインタビューで語っています。(引用:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/09/28/kiji/20200928s00041000297000c.html)
当時猿之助さんは27歳ですから、自分の力で失敗も成功もつかみ取りたいという気持ちが芽生えてきたのでしょうね。
2011年に四代目市川猿之助(先代の猿之助が伯父にあたる)を襲名(親の名や師匠の芸名を継ぐこと)した。
伯父から「僕のやってきたことを継いでほしい」といわれ亀次郎の名に愛着があったものの、伯父に恩返しをさせていただくという気持ちで受けた、とインタビューで本人は語っています。
その後は、大河ドラマ「風林火山」やTBSドラマ「半沢直樹」などで活躍されています。
こうした経歴を見ると歌舞伎を本当に愛している人だということが良くわかります。
まとめ!
こうして調べてみると、文武両道な真面目で好青年な人という印象を持ちました。
というのも勉強も歌舞伎も両立し、守ってもらってばかりじゃ駄目だと独り立ちをしてテレビやドラマでも活躍しているのでそういった印象を持ちました。
悲しいニュースが飛び込んできたばかりの猿之助さんですが、もし復活されるのであればまだまだ活躍が期待できる方だと思うので良いニュースが入ってくるのを祈りたいですね。
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